富津市の概要
富津市(ふっつし)は、房総半島の中西部東京湾側に位置し、北東部に君津市、東南部に鴨川市と安房郡鋸南町に隣接しています。また、南北40キロに及ぶ海岸線と、マザー牧場がある鹿野山や、切り立った崖の鋸山など、海や山に囲まれた自然豊かなところです。
東京湾に突出した富津岬は、関東の天の橋立といわれ、南房総国定公園になっています。近年では、東京湾アクアラインや館山自動車道の開通で、首都圏からのアクセスが良くなり、潮干狩りや海水浴、ハイキングなど、多くの人で賑わっています。また、豊かな自然条件を活かした農林水産業も盛んです。
富津のあゆみ
富津地方に人が住みはじめたのは、旧石器時代であるといわれており、当時のものとされる遺跡が4ヶ所で見つかっています。その遺跡からは、ナイフ型の打製石器や加工石器など多数発見されており、当時の様子をうかがえます。 同市には、縄文・弥生時代の遺跡も多く発見されていますが、5世紀から7世紀にかけて作られた古墳は、総数40墓以上確認されています。これらの中で、富津岬北側の砂州上に分布する内裏塚古墳群は、千葉県最大(南関東最大)のもので、国の史跡指定となっています。また、古墳時代に小糸川流域一帯は須恵国(すえのくに)と呼ばれ、内裏塚古墳群は、その首長である須恵国造(すえのくにのみやつこ)と一族の墓域であると考えられています。
同市にある佐貫城は、千葉県で唯一石垣の櫓台を持つ城で、中世から幕末まで使用されていました。この城は、武田氏によって築かれたといわれていますが、里見義弘の頃には里見家の本城となり、北条氏と激しい攻防戦を繰り返していました。近世に入ると、城主は内藤氏、松平氏、柳沢氏、阿部氏と続き、明治維新を迎えると、城は比高40メートルの本丸を中心として、二の丸、三の丸と続いて構成されました。
外国船が多数入国し始めた江戸後期の富津市は、対岸の三浦半島とともに、東京湾防備の最前線となりました。寛政の改革で有名な、松平定信も房総沿岸の防備を命じられ、文化11年(1811年)に視察に訪れています。同市の海岸線の防衛は、佐貫藩・飯野藩・久留里藩・佐倉藩などの房総に配置されていた諸藩のみならず、先に挙げた松平定信の白河藩をはじめ、会津藩・忍藩・備前藩・柳川藩・二本松藩・前橋藩などの諸藩も担当していました。各藩は、富津台場や富津市沿岸に砲台を築き、守備に当たっていました。「黒船渡来日記」によると、佐貫藩はペリー来航以前から、外国船が渡来するたびに出陣していたことがわかります。
明治22年(1889年)、町村制の施行により、青堀村・富津村・飯野村が誕生しました。明治30年(1897年)には富津町、大正15年(1926年)に青堀町と改め、昭和30年(1955年)、町村合併促進法の施行により、富津町・青掘町・飯野村が合併して富津町となりました。さらに、昭和46年(1971年)に3町が編入合併し、同年9月の市制施行により、富津市が誕生しました。
21世紀を迎え、富津市は「躍動と賑わい、安らぎとふれあいの交差するまち、ふっつ」を都市イメージとして掲げ、自然と施設を活かした、健康で思いやりのある、安心して暮らしやすいまちを目指しています。
富津の名前の由来
地名の由来には、4つの説があります。
1.古津(ふるつ)…古い港という意味で、中世の文書にある「ふんと」もこの意といわれています。
2.ほと…古語で突き出た所を意味し、富津岬の地形から考えられたといわれています。
3.布流津(ふるつ)…日本武尊と弟橘姫(おとたちばなひめ)の伝説に由来しています。また、媛の衣が流れ着いたという説もあり、布引海岸(ぬのびきかいがん)の地名もあります。
4.ふつ…刀を振ったときに発する音で、富津岬を刀と見立て、霊力と結びつけたものといわれています。
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| 富津の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
富津埋立記念館 |
| 住所: |
〒293-0022
千葉県富津市新井932-3 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0439-87-9740 |
| 開館時間: |
9:00〜16:30 |
| 休館日: |
月曜、祝日、年末年始 |
| 入館料: |
大人100円、小中学生50円(乳幼児は無料) |
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